奇襲をかけられた。
 まさか背後からそいつが現れるとは思わなかったのでモロにこちょこちょ攻撃を食らってしまった。驚きのあまり妹子は手加減を忘れ、しかけた相手が上司であることも忘れた。忘れついでに思い切りのいい左ストレートを、あろうことか太子の頬骨に見舞ってしまった。面白いぐらいに飛んだ。飛んで転がってニ、三メートルはぶっ飛んだ。しまった。死んだかもしれない。
 そのまま逃げたほうがいいのではないかと一瞬魔が差しかけたが、それも後味が悪いのでしぶしぶと安否を確認に行く。一応死んでなかったが、白目はむいていた。魂という魂が、その体から抜け落ちていた。地面に刺さらなかっただけ幸いか。

 ぶっ飛ばした瞬間のオアまアという叫び声がちょっと面白かった。






 三分弱後、ふやけたラーメンのように太子が目を覚ます。白目をむいていたせいで目が乾いたようで、しきりに目をこすっていた。状況を確認するように右から左へ視線と首をぐるぐる回転させて、妹子と目があった。

「……大変だ。宇宙が妹子になってしまった」

 どうしよう。第一声が危ない。

「しっかりして下さい太子。思わず手加減忘れて殴っちゃってすいません」
「どうしよう宇宙の妹子って倭国語通じるかな。σσσлиббЭΩΩ?」
「どうやって発音してんだよ!? それは倭国語じゃないでしょうが! しっかりして下さい!」
「おや、その声は。アアァーー妹子だ!! こんにゃろ畜生め! いきなり私のほっぺを渾身の力でぶん殴りやがって! 頬骨が割れるかと思ったわ!」
「いきなりはそっちじゃないですか。太子がこちょこちょしてきたんでびっくりしたんですよ」


 言動の危なさは改善できなさそうだが、とりあえずノリがいつもと同じだったのでホッとした。今以上にハッスルされてはさすがに妹子の手に負えなくなる。今だって負いきれてないというのに。
 太子は色々と落ち着いてきたようだが、落ち着きを通り越してすねてしまった。唇をとがらせて何も言わずに地面の草をぶちりと引っこ抜いた。そのまま草抜きでも始めてしまえばいいのにと思った。
 害になることはしないだろう、と何となく思って暫く眺めていたらその読みが外れた。そのままぐるりと身体を反転というより普通の人間には不可能なほどねじらせてこっちに飛びかかってくる! 「ギャッ、何するんですか!」妹子の抗議の声も無視されて、変質者はわき腹にこちょこちょ攻撃をしかけてきた。

「あばばばばばやめて下さい! やめて下さい! やめろバカ! キモ男!」
 鳥になるかと思うくらい鳥肌が元気になる。
「うるさい、やめろバカキモ男とか言うなこの芋! 芋好きの人にとってはごちそうめ! コノヤロォォ、笑え!」
「字が違う! 芋じゃなくて妹だ! いい加減にしろ!」
「アップゥ」

 今度は飛ばない程度に太子の頬を殴った。しかし先ほど殴ってしまったところと同じ所を打ってしまったようで、再起不能かと思われた。しかし再起不能の状態から再起して来るのが太子なのだ。
「大丈夫ですか太子」
「大丈夫なわけあるか……。一度ならず二度までも……。この鬼芋……」
 よし、大丈夫そうだ。
 鳥肌の止まない肌をさすっていたら太子はやっぱり再起してきた。爪を噛んで歯ぎしりして妹子を睨みつけている。ものすごく不気味でひいた。太子の背後辺りからあふれだすムゴゴゴゴみたいな音はなんだ。オーラ?
 再び目があった。今度は即座にそらす。この人と目をあわせるというのがろくでもない出来事の始まりだと言うことはおつりが来るほど理解している。「ヒッ」しかしふと頬に冷やっこい物体が伸びてきて、妹子の喉から悲鳴があがった。手汗のにじむ太子の手のひらだった。

「ものすごく不愉快なんですけど……。っていうかカレー臭い」
 こっちまで冷汗が出る。
「臭いって言うな! ……妹子は最近全然笑わないなあ」
「はい?」
 いきなり何を言い出すのかと、妹子は目を丸くした。


「なに人を笑顔を忘れたかわいそうな人みたいに言ってるんですか。僕だっておかしけりゃ普通に笑いますよ」
 そういえばさっきも笑え! だとか何だか言ってた気がするなと、妹子は今更ながら思い出した。
「いいや、最近の妹子はあの万引きする瞬間のしたり顔すら見せなくなった!」
「してないよ! まだ引きずってたのかその妄想!」
「まあそんなんどうでもいいから、ちっとミョルッと笑ってみんしゃい」
「よくないですよ。何なんですかその気持ちの悪い擬音……。普通ニコッとかでしょ、あたたたたた! ぼくのほっへをひっひゃるな!」
 太子が妹子の両頬をつまみ左右に引き伸ばし始めた。心なしかご満悦。
「ひひはへんいひろっ!!」
 いい加減にしろと言ってみたつもりだ。

「そのまま学級文庫と言ってみろ!」
「誰が言うか!」
 両腕で振り払ったら手汗のせいかぬるっとたやすく解放された。しかし、不快だった。
 振り払われた太子は少しではなく大分へこんだようで、うなだれた表情で落ち込み始めた。やりすぎたと思ったので、不本意ながらも慰めてみる。

「そんなに僕に笑ってほしかったんですか?」
 妹子が服の袖で頬をぬぐいながら尋ねると、太子は若干涙声で頷いた。思わずあからさまなくらいにため息を吐いてしまう。まったくどうしてこの人は……。
「私は何となく妹子には笑っててほしいんだよ」
「なんでですか?」
「なんでだろう?」
 真顔で聞き返された。知るか。

「それで太子の気が済むんだったらいくらでも笑いますよ。キモイ攻撃しなくても」
「ホントに!? じゃあやってみ。さん、はい!」
 たぶんダメだろうな、みたいな予感があった。
「ハハッ」
「鼻で笑うなコラ〜〜〜〜〜〜〜!! 馬鹿にしとんか〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 怒り出して妹子の頭をぺしぺし叩きにきた。やっぱりダメだった。抵抗するのもだんだん面倒になってきて、まったく痛くないのをいいことになすがままにされることにする。

「あーもう鬱陶しー。そんな面白くもないのに笑えるほど僕器用じゃないんですよ。あ、でももしかしたら、太子が真面目に仕事していたら笑えるかもしれません」
「馬鹿にする気か?」
「違いますよ……」ネガティブなオッサンだな。

 太子は一人納得するかのように、そうかとか、ぶつぶつ独り言をつぶやいていた。妹子が暫く傍観していると、太子は思い立ったかのように立ち上がり、妹子を指差した。
「言ったな! 妹子言ったな!! よし私はやるぞ。妹子見てろよ目にものを言わせてやる!!」
 宣戦布告のようにそう叫んだかと思うと、風の速さで走りだす。妹子は呆然としながらその背を見送るしかなくて、取り残されて立ちつくした。いったい何がしたかったんだろうなあと今でも思うけど、その答えが出ることはなかった。










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