夜明けを迎えると、いつも私は息子の名前をわすれている。 寝て起きたのに、ずいぶん徹夜したような感覚が続いている。今日の朝もだ。くしゃくしゃに丸まった布団の上にぺったり座り込んで呆けていると、 君(名前が欠落している)がやってくる。手元にはバターもなにも塗られていないシンプルなトーストが、トレイの上へ、皿と一緒にのせられている。ほら、いつまでもそうしてないでいい加減しゃんとなさい。今日は出掛けなくてはいけないんですから。他人に対する口のきき方で、 君は私の口にトーストをちぎって詰め込む。味は何もしなかった。今日だけではなくて、もうずっと。 洗いたての髪をタオルでぬぐおうともせずに、 君が入れたコーヒーの湯気をずっと見つめていたら水滴がたらたらと額を通り過ぎて鼻のあたりを伝っていった。保険証とか、診察券とか確認している 君の名前が相変わらず思い出せなかった。私は彼の名前を呼ぶこともできずに途方にくれている。どうにもならないまま彼の顔を見つめていると、 君が私の息子であることが、嘘みたいだと思う。彼は少し三白眼ぎみで、その上目つきが悪くて少し怖いのに、ずるいくらい美しい青年だった。色々な意味で近寄りがたい男だ。 君と私はまったく似ていない。名前ごとうしなった記憶と彼の態度、芭蕉さん何してるんですか。濡れっぱなしじゃないですか。そうやって私を父と呼ばないことが、血に対する疑いになる。 着替えて下さい。 君は髪から落ちる水滴のせいで湿った私のシャツに気づくと、あたらしいシャツを持ってきて私につきだす。私は言われた通りにボタンに手をかけて、それをうけとって、何度もボタンをかけ間違えて、そんな姿を見て、曽良君が舌打ちする。私はびく、と身体をふるわせてとっさに彼の名前を思い出した。だけど彼が私のかわりにボタンをかけはじめたらまたわすれた。時間がないんで行きますよ。 君(もういちどわすれた)は私の手を引いて、財布を手に取る。私に上着を着せて、ドアを開くと朝が目にしみた。私は歩くのが遅いから、到着までに時間がかかるので出発時間はずいぶん早い。 私は徹夜明けのような不鮮明な意識の中で、朝の彼は少しだけやさしいと思った。 だけど彼がやさしいので、私はいつも朝に彼の名前をわすれてしまう。 → ××× |