何かを欠いた声。












 血の繋がりが、欲しかったですね、とその日の日記を書きつづりながら、曽良が言った。丁度眠る前、芭蕉がかすむ意識を抱いて今まさに床につこうと思った時のことだ。何も脈絡のないそのふとした一言に、妙にひきつけられた。
「 血の繋がり? 」
 芭蕉が問い返してみると、曽良がええ、とうなずき、音をたてず筆を置くと行灯の炎を吹き消した。一室に暗闇がひろがり、目が慣れぬ今では曽良を探すことが難しかった。
「 いっそあなたと、血で繋がれていたらどうだろうって、思ったんです 」
 暗い部屋で気配だけで曽良が動いて、どこへ行くのと視線をさまよわせていると、腕を掴まれる。何事かと心臓が跳ね上がった。
「 曽良、君? 」
 はからず上ずった声が漏れる。灯りが消えた瞬間、世界までも暗転してしまったようで芭蕉は戸惑った。掴まれた腕が次第にじりじりと温まっていく。その手の熱がしだいに上がっていくのは、血が流れているからか。血で繋がれていたら、という声が耳の奥でよみがえる。血が繋がる、じゃなくて、血で繋がるという、どこか執着めいた穏やかでない響きに胸中がざわめいた。




「 あなたが僕の師ではなくて父だったら、一体どうなっていたんでしょうね。父としてあなたは僕のことをどんな目で見ますか 」
「 曽良君? 君、寝ぼけてるの? どうしたんだよ、急に…… 」
「 僕が、もしもあなたの血で繋がれた子であったら、どんな顔で僕を見るんですか。どんな風に、僕を呼ぶんですか 」
 次第に目が慣れてきて、曽良の輪郭が浮かび上がるが、それを見つめ返すことができなかった。似合わぬ饒舌を奮う彼がまるで正気をうしなっているようで、目を合わせれば引きずり込まれる気がして、芭蕉は怖気づいていた。じりじりと、曽良が距離を狭めていくことに気づいて、思わずこちらも少しずつ後退していく。つかまらないように。つかまらない、ように。そうしているうちに、頭が壁にぶつかって、逃げ場のなさにふるえた。こうやっていつも逃げても、逃げても、簡単に捕まえられてしまうのが悔しい。
 お互いの額が当たる。吐息がかかる近さに息を殺す。唇が、触れるのかと思った。しかし触れずにその唇からは言葉が吐き出される。




「 あなたが、僕の父だったら、今とはどう違っていたんでしょうか。僕たちの間に、血のような理性があったなら、何か変わっていたんでしょうか。何が変わったんでしょうか 」
「 ………… 」
「 芭蕉さん 」
 声が出ない。
「 芭蕉さん 」
 声が出ない。このまま息が止まって死んでしまわないように、か細い呼吸をするのがやっとだ。芭蕉さん。呼びかける声が、穴の底からひびいてくるように、重くて暗い。口を開ければ、喉の奥へとすべりこんで侵食されそうだった。怖くて、仕方がなかった。冷たい汗が伝って背筋をいくつも流れていった。曽良が、芭蕉の腕をいっそう強い力でにぎりこむ。





「 おとうさん 」








 絶望的なほど暗く粘ついた声で、曽良が芭蕉をまっすぐに見て呼んだ。全身に氷水をぶっかけられたかのような寒気が走った。おとうさん。もう一度。例えがたい嫌悪感にも似たものが、背筋から這い上がってくる。首筋を細い指がなでた。芭蕉の反応を愉しんでいるようだ。曽良は声の抑揚を変えないまま、何度も同じように、芭蕉を父と呼ぶ。ひとつ呼ばれるたびゆっくりと死んでゆくように、身体の中の何かが朽ちた。曽良のその声は、手は、顔つきは、息子が父を呼ぶものとは、違う、まるで違うと、本能的に悟った。
 耳をふさぐ。片方だけだ。片腕は捕らわれているので、両耳は塞げない。たとえ両腕で塞いだとしても、この声はいつも手のひらをくぐりぬけてくるので何の意味もないけれど。声が、脳髄の中でリフレインする。反響するように。気持ちが悪い。気持ちが悪い。彼にこうして、呼ばれたくはない。





































 


 


 


 


 













 












































「        」




 喉からかすれた悲鳴があがる。無我夢中で曽良をはり飛ばして、耳を塞ぎながら走りだした。ここが室内であることをすっかり忘れたままで、壁に顔面を強かに打ちつけた。激痛にあえいだが、自分の目の前に壁があるという事実が脳にうまく入ってこなくて、がりがりがりと壁をかきむしった。逃げられればもう何でもよかった。
「 芭蕉さん 」
 後ろから声とともに手が伸びてきて、全身に鳥肌が咲いた。逃れる間もなく曽良は芭蕉の首根っこを掴み、布団に叩きつけた。そのままうつぶせにされて顔面を布団に押しつけられる。
「 静かにして下さい。もう夜も遅いんです。迷惑になります 」
 頭の上から声が落ちてきて、押しつぶされるようだった。実際布団の上に押しつぶされている。暴れるとより強く体重をかけてきて息が苦しい。できない。できない。息ができない。泣きじゃくり、しゃくりあげているうちに、ひどい胸やけが喉の奥を駆け上がってくる。

「 芭蕉さん? 」

 妙な呼吸の音に気がついたのか、曽良が手を緩める。起き上がり、口元を手で抑えてその指から唾液がこぼれおちていくのを見て悟ったようで、方手で引きよせたものを芭蕉の目の前に広げた。それが自分の着物である、と認識する前に、そちらへとすべてもどしてしまっていた。臭いが部屋中をたちのぼって、曽良が呆れたようにため息を吐いたから、怒りが燃え上がって身体じゅうを焼きつくすようだった。全てが君のせいだ、と訴えるために、曽良の肩を拳で叩く。駄々をこねる子供のように。
「 やめて下さい。汚い 」
 頬をかるく打たれたが、止まらなかった。涙も、吐き気も、曽良の、おとうさんって呼ぶ声を頭の中で繰り返すのも。すべてを彼のせいにすることで、ねじきれそうな何かを守りたかった。

「 私は、君のおとうさんじゃない。おとうさんじゃないんだ…… 」

 悔し涙を流し、曽良を睨みつけてそう言ったら、彼の表情が歪んだ。笑ったみたいに歪んだ。
















 分かってますよ。でも何となく、そう呼んでみたかったんです。それほどまでに嫌がるとは思いませんでした。僕はただ、もしも僕があなたの息子だったら、あなたは幸せになりましたかって訊きたかっただけだったんですけど。

























 そういえば某所に書いてたなー的なものにちょっと悪ふざけリミックスしてみたんですけど、なんか、やり過ぎちゃった……。最初は文字をひっくり返すだけにしよう、と思ったんですけど、なぜ、こんなことに……。っていうか、これアリなんだろうか……。
 以前書いた芭蕉さんからたとえばの話を、曽良くんからたとえばにしてみたら雰囲気的に真っ黒くなりました。
 ああ私よ曽良くんをどこへやる。ってゆーか蕎麦をどこへやる。











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