どちらとも何も語らない時間が永遠を危惧されるほど長く続いた。風の音すら止んで、それはそれはとても静かで何も満たさない無音の中、芭蕉は木にすがりながら、もしものことを考えていた。もしこの男がまだ足りていないと答えたならば、哀れなことだと。もう芭蕉の中には曽良に与えるものなど残されてはいない。それでもこの男は飢えを満たすように自分をあさり続けるだろう。わずかににじみ出る苦痛すらこの男は盗んで、苦しむのだ。


「 曽良君の、絶対って、私? 」
 芭蕉がそう言ったあとも、無音はまだ継続している。
「 君は、私が欲しい? 」
 静寂が壊れたのはその後だ。何やら変な音がした。




 何事かと思って、痛さをこらえてゆっくりと振り返る。眼だけを動かして左右を眺めてみたが、それらに変わりはなく、ただ闇に落ちるだけの風景だった。しかしそれでも物音の正体を探ろうとせわしなく目を動かす。そして少し下を見遣ったところで、止まった。
「 曽良君……? 」
 曽良が崩壊していた。
 よろつく足で歩みよる。一瞬、彼ではない誰かがそこに座りこんでいるのかと思った。どこにやっても落ち着けないと視線を泳がせながら、肌が蒼白に染まっていた。思わず脳内でいつもの曽良と照らし合わせてみて、あまりにかけ離れた姿に痛々しさを感じた。そうして曽良は、自らを保てなくなるほどあっけなく崩れ出した。芭蕉が思ったとおり、足元から。








「 ええ、ええ。認めます。ほしかったですよ。あなたが 」
「 ……うん 」
「 あなたの苦しむ顔とか、泣き叫ぶ時の声、とか。わらいがおとか、詠む、ことば、とか 」
「 うん、うん 」
「 すべて、あいしてました。ぜんぶがいとしかった 」
「 そう。……ありがとう 」
「 ………… 」
「 でさ、曽良君 」
「 …………なんですか 」
「 まだ、足りない? 」
「 ええ。足りません。満たされたことなんて、いちども 」
「 ……可哀相に 」
「 さわらないでください 」
「 ………… 」
「 はなして、ください 」




 芭蕉が見下ろして曽良が見上げるという、いつもとは違う立場に落ち着かなくて、芭蕉は自然と自らも膝を折り、曽良と視線を合わせようと試みる。しかし曽良の目は、芭蕉の視線をするすると器用に避けた。曽良はやはり、まだ飢えていた。芭蕉が思わず曽良を腕に抱くと、彼は逃れようともがいた。だが、それだけだ。芭蕉が離さないでいると、諦めたようにその身体から力が抜ける。

 その間心の中に生まれた底なしの暗さに、芭蕉は戸惑っていた。曽良の身体からゆっくりと離れて、どこも見ないその目を見つめる。願わくはいつまでもそうしていたかったけれど、腕はそれをゆるさなかった。鋭い力で曽良の頬をはり飛ばした。いつもならば殴り返してくるだろう曽良の表情は痛みよりも驚愕に歪められていて、それを見ていたらまたふつふつと胸の中が暗くなってゆき、それに身を任せて曽良の顔面を蹴りつける。間髪入れずに脇腹を踏みつけたら、苦しかったか、彼は何度も空咳を繰り返した。その一連の動作を自分が行っていることに信じられず、ただただ戸惑うばかりであったが、酸素が欠乏した顔で見上げられて、謎が氷解した。




 自分のまぼろしが曽良の姿でそこに居た。




 すべてを盗られて、芭蕉の中に残ったものは溢れかえるほど注ぎ込まれた曽良しか、なかった。そうやって中身を失い枯れていく芭蕉と同じように、曽良も枯渇していったのだろう。両腕という心もとない盾で自らをかばいながらかたかたと震え、時が過ぎるのを待つ彼の中にも、芭蕉しか残されていないのだ。
 こうやって自分は曽良に近づいていき、曽良も芭蕉に近づいて、その挙句こうして入れ替わってしまった。違う役割を歪に演ずる違和感に寒気がする。それらをふりきるために、とどまることのない愛憎を殴打にかえて、曽良に刻み続ける。こうするうちに芭蕉がそうだったように彼の身体も青に赤にと染まりゆくのだろうか。
 笑いたくなってしまった。いつも理不尽な暴力をぶつける曽良の気持ちを、こんな時にすべて理解してしまった。


( 私、は )


( 松尾芭蕉を象った、河合曽良だ )




 瞼の奥底からささやかな痛みがにじむ。やっと泣けそう、だ。






 渾身の力で踏みつけたものが砕ける音が全身に伝わって、今までずっと悲鳴をもらすまいと歯を食いしばっていた曽良の口から、さすがに声に満たないうめきがもれだした。そこでぴたりと暴行をやめてみると、曽良は腕をおさえて、うううううううううううううううう、と、獣の如き唸り声をあげていた。そんな姿をみて、芭蕉は薄く笑いながら、しまった、なあ。と小さな声でささやく。


「 君はここまでしなかったっ、け 」


 殴るのをやめてみると、どっと疲労感がのしかかって、倒れそうになったが何とかそうならず立ち続けることができた。立てないのは彼の方だ。折れた腕から手を離せずきつく握ったまま、うずくまる彼に芭蕉は背を向けた。そして少し歩いたあと、後ろを振り返って、曽良の真似ごとをする。






















「 置いて行くよ、曽良君 」































 つくづく私は、×の意味を間違えている気がしてなりません。

 Sの人ってなんだか打たれ弱いイメージがあります。っていうか曽良くんって割と打たれ弱いんじゃないかなと夢見てます。攻撃力が高い分防御力が低そう。芭蕉さんはその逆っぽそう。
 せっかくの海の日なので、いつもとちがう細道のお二人を書いてみよう! と思ってはみたのですが、なんか……、妹子が寝言で「もっともめ」って言ったことでも書いた方がよかったのでは……。でも、曽良くんが、やられ役でも いいじゃない。(わ、偶然句になった…) お粗末さまでした。そばそっていいよね(パン!パン!)


 ほんとこれそばかばそか どっちなのでしょう。


×××