※元禄ティンクがいじめられてます。



















 特に意識せずに立ち上がろうとしたが、身体を支える腕がかくんと折れて、地に伏した。芭蕉は何が起きたのか分からないまま、驚くほど力ない腕を眺めててんてんと腕に浮かび上がる痣を数えて、そこでやっと記憶がよみがえる。こうして無防備でいることに対する危機感も同時に思い出したが、重く頼りないこの身体を引きずっていてはどうにもできないまま、首根っこを掴まれる。首だけをあげてその手の主を仰ぎ見る。曽良だ。


「 まったく、やっと起きましたか芭蕉さん 」


 人間に対する扱いとは到底思えない乱暴さで、放り投げるように後ろへと引き倒される。頭を強かに打ちつけた。涙を滲ませながら、いわれのない暴力を受けていることよりも、“まだ終わりじゃなかった”ことに衝撃を受けた。意識を失っていたのに、まだこの人の頭が冷えていないなんて。
「 中途半端なところで気絶されて、目を覚ますまで本当退屈だったんですよ。いつもはもう少し我慢できたでしょう? ちょっと絞めあげただけじゃないですか 」
「    ひ っ 」
「 ほらこうやって。別に気を失うほどのものじゃないでしょう。ほら、ね? 」
「 ぐ、い゛、ぎぎぎぎ、あ゛、ぎぎ…… 」
「 ……あ、その声結構好きです 」




 曽良は片手だと言うのに、芭蕉が両手を使い抵抗しても指一本引きはがすことは叶わず、指が喉へ食い込んでくる。そのまま馬乗りになってきて、もがいても逃れられない虚しさに泣く。口から涎がこぼれて首を伝っていき、手を汚そうともその手がゆるむことはない。醜い奇声に対する恍惚としたようなその言葉に寒気がする。( たのしいのかい )( こんないたくてこわいことを、きみ、は!! )痛いのは嫌だ。殴られると悲しい。首を絞められるのが苦しい。暴力反対、大嫌いである。だけどどうしようも、ない。どうにもできない。喉を包む手を振り払うための力はまるで足りていない。こんなにも非力な腕でどうすればいい。落ちる、と思った寸前で喉から手を離れ、しかしまた締めあげられる。それを何度も繰り返される。苦しい、苦しいから泣く。泣いているのに。
 曽良がまだ、許してはくれない。


「 も……、ほんと、勘弁、してよ……。そらくん 」
「 まだです 」
「 謝るからさ……。もう二度と生意気言わないし、君のいうこと、なんだって聞いてあげるから、もう勘弁してよ。終わりにして。充分だろ? こっちももう、限界でさ……。限界なんだよ、曽良君 」
「 足りないんです。まだ足りてないんですよ 」
「 もう、何が足りないっていうんだ、よ……。本当に、痛いんだよ。君がこわい……。もう、許して 」


 許して、と口にした瞬間平手打ちが飛んだ。苦しさとはまた違う肌を焼くような痛み。それが何度も落ちてくる。腕で顔をとっさに庇うが両手でこじあけられて、芭蕉は自分がまた地雷を踏んだことを悔やみながら曽良に打たれ続けた。頬は腫れあがりどこかから血が流れる感触すらやがて麻痺する。さんざん痛みを発するくせして最後にはこうして救われる。この愚かな自分自身の、一部に。










 流石に疲れたのか曽良は肩で息をしていて、芭蕉は自分が目を覚ましているのかまた気を失っているのか理解しきれない気持ちで寝そべっていた。身体を動かそうとすれば何かがきしむような感覚がある。どこが痛くて痛くないのかも分からない。痛まない部位などないのではないか。
「 芭、蕉さん…… 」
 ためらいがちに名前を呼ばれる。何とも彼らしくない響きだ。あまりにらしくないので、自分はもう夢の中にいてこの曽良は本物ではないのかと思う。しかしその腕が芭蕉の方を掴み仰向かせたとたんその想像は消え入る。まだ続くというのか。もう腕を持ち上げることすらできないから、せめて瞼を下ろし眠るふりをする。早く終わりますように。












 額に何かが当たったような気がするが、苦痛をもたらされる何かはいつまでもやってこないので、そろそろと目をあけると、曽良の顔が間近にあってぎょっとした。曽良の額といつの間にか触れ合っている。皮膚がちりちりしているせいで分からなかった。吐息のかかる感触も何もかも。今だってわかっていない。睫の長さが気になる。


「 許せないんです 」
「 え 」と言おうとしのたが声には足らず、呼吸として吐き出されただけだ。
「 あなたのことが、許せないんです 」
 曽良の瞼がきつく閉じられ、歪む表情とその声。
「 許せないんですよ。ただそれだけなんですよ。芭蕉さん…… 」












 

( 曽良君はつぶやいて私の顎をそっとなぞる。私は少しの間信じることができなかった。さっきまで凶器となり振るわれ続けていたこの手の指先が子供のようにふるえているなんて信じられるかってんだ。私そこまで曽良君に憎まれるようなことしちゃったかなーと考えかけた。恨んでたり憎んだりしてるような声じゃないね、今のは。すごいだろ私はよくわかってるだろ。なんてったって俳聖だもの! 君は、許しかたを知らないみたいだね。今の君、まるで道に迷った子供のようだよ。よしよし。あれ、あいたたた。頭なでれない腕上がらないなあ。痛くて。もう! ほんっと役立たずの腕! 嫌になっちゃう! 君、私の弟子のくせに俳句うま夫だから、思えば私って師として君を教えたことって一度も……いや、あんまりないよね。よし、今こそ師の務めさ )






( 私が、君を許してあげるよ )































( だって、この指すらも救ってやれない私なら、私なんてなんの意味もないじゃないか! )


( 愛する人の弱さも救ってやれない、なんて )













矢野絢子さんの素敵な曲「愛の迷路」がどうしても私の中のそばそんぐにしか聞こえなくなったんです。「傷ついた子供みたいふるえる指先 愛する人の弱さも救ってやれないなんてね」のあたりとかとくにお蕎麦でもうそうしたらたまらなかったんです……。あと首絞めがすきなんです。どっかで絶対言ったと思うんですが何度でもいいます。首絞めが す き な ん で す 。 首絞めっていうより喉絞めみたいなものがすきなんです。酸素が行き渡りにくい状況にエロスをかんじちゃうお年頃なんです。ひかれる覚悟で叫びます。喉絞めが、だいすきです。


すみませんでした。 (吐きだして冷静になったあとの、この虚しさよ)







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