林を渡る最中の話である。草むらにぽっかりと空いたくぼみの中に、黒猫が二匹いた。親猫らしき大きな猫の隣に、寄り添うように小さな猫が丸まっている。それを見つけた芭蕉は、半歩後ろについていた曽良の方に振り返り、人差し指を口元に寄せた。それを見ると曽良の眉が不快げに顰められる。

「……何ですか、芭蕉さん」
「曽良君、あれ、あれ」

 二つの黒いかたまりを指先で示すと、曽良も気づいたようだった。暫く何も言わず、表情を変えないまま黒猫を見つめ続ける姿はいつもの曽良のものだった。

「可愛いなあ、猫ちゃん」
「ええ、可愛いですね」
「……!!??」
「何ですかその顔は」
「いや、曽良君でも動物見て可愛いなんて思ったりすること、あるんだ」
「…………」
「すいません……」

 一際眼差しが鋭くなったように思えて、芭蕉は反射的に謝ってしまう。別に他意はなく、ただ本当に意外だったのだ。この弟子は世界の全てから一歩引いたところで、冷静に眺めている人だと思っていた。そんな男が何でもないように可愛い、という単語を口にしたのが妙に新鮮だったのだ。
 しかし弟子の怖さにそんな思考は飲み込まれて、もう一度黒猫の親子に視線を移す。草が茂る中、眠り続ける猫の親子を見ていると恐怖で固まった精神がほぐされる。猫は可愛いなあ。何故だか懐かれたことはないけれど。それにしても仲のいい親子だなあ。などと考えていたら思わずのばしていた手を、気付けば曽良に引っ掴まれていた。

「何してるんですか、芭蕉さん」
「ちょっと、ちょっとだけ、なでたくて……」
「野良猫でしょう。やめておいた方がいいです。引っ掻かれるかもしれませんよ」
「ちょっとだけ、ちょっとだけなら……」
「いい加減にして下さい。引っ掻きますよ?」
「君が!? 師匠を引っ掻くなよー。このお魚くわえたドラ猫弟子ゴッフゥゥゥウアすいません! すいません! 調子乗りました!」

 今度は気のせいという可能性を消し潰す勢いで思い切り怒られた。必殺技の断罪チョップが腹に食い込んで血反吐を吐く。いつになっても学べない。時に口が滑り、調子づいてしまってこの弟子を怒らせてしまう。
 容赦ない手刀を食らった鳩尾の痛みに涙ぐみながら、もう一度猫の親子に目を移す。この騒ぎにも二匹は起きない。寄り添うように眠り続けている。
 気が済んだかのように曽良が立ち上がった。そして隣に座り込む師匠に目もくれず、一人で歩き始め、そのまっすぐな背中が遠ざかっていくのを見送ってから、芭蕉は自分が置いていかれていることに気づいてあわてて立ち上がる。そのまま前へつんのめって顔面から転んだ。顔の激痛に起き上がることができない。

「何やってるんですか……。」

 芭蕉さん。と、吐き捨てるような、ため息が混ざったその言葉には弟子の慈悲は皆無である。押さえた手から指を伝って鼻血がこぼれていくのを見て、泣いても、曽良が手を貸すなんてことはなかった。それどころかまた踵を返して歩き始めたので、芭蕉は足をもつれさせながらも手で鼻を押さえたままその背を追う。一度も振り返りはしない。














 芭蕉を一人待たせて、曽良はもう一度今歩いてきた道を引き返している。自分たちが踏みしめてきた足跡を追い、そこへと辿りつく。
 草むらの中にある、一つのくぼみ。そこに横たわる猫たちは死んでいる。触れてみると固く、温度は失われて、それなりの時間が経っていると解る。そのままにしていても土に還るだろうとは思ったが、土を掘り起こす。日の差さない場所の土は黒く冷たい。指先が冷えていく。何も思わず考えず掘り続けると、一つの暗い穴が開く。そこに大きな猫と小さな猫を寝かせて、土をかぶせる。かぶせ終わると形式として手を合わせた。冥福を祈る訳でもないのに。









「あ、遅いよ曽良君!」
「お待たせしました。じゃ、行きますよ芭蕉さん」
「え、あの、ちょっと待って……。この木にぐるぐる巻きにされた哀れな師匠を助けてってよ」
「何をしてるんですか?」
「君が縛ったんじゃないか! どっからともなく縄出して来て! 私は突然の弟子の奇行になすすべもなくヒイインと悲鳴をあげるばかりであった!」
「ああ忘れてました。まったく、面倒臭いなあ」
「面倒臭いなら縛るなよ! ん、なんでそんなに丁寧にほどこうとしてんの? 君どでかい鋏持ってたじゃない。それでブチッと切っちゃってよ」
「いえ。また使いますし」
「また使わなくていいよどうせろくな使用方法じゃないよ! こんな縄ぶつ切りにしちゃってよ! あ、ほどけ……ゴッハァなんで蹴るの!?」
「いいからさっさと行きますよ芭蕉さん。蹴飛ばしますよ」
「蹴ってから言うのそれ……。もう嫌だ弟子が怖い……。曽良君訳分からん……」






「……もしかして、君さ」
「…………」
「あの猫、埋めてくれたの?」
「……。気づいてたんですか?」
「気づいてたって言うか、気づいたって言うか。そっか、やっぱり死んでいたんだな……」
「ええ。まあ、よくあることです」
「そう言っちゃったら元も子もないけど……」
「だからいちいち気にしていたらキリがないですよ」
「そう言っちゃったら身も蓋もないけど……」
「……何泣いてるんですか、芭蕉さん。鬱陶しい」
「うん、猫が可哀相っていうのもあるけれど、なんだろう。少しの気遣いすらにじませない弟子の辛辣さにも涙腺が緩んだ」
「芭蕉さんの泣き声が気味悪いんで、割と本気で置いて行きたいんですけどいいですか?」
「うええ」
「チッ」
「……」
「…………ハァ」
「…………」





「ま、待って、待って」
「何ですか……」
「ホラ、もう泣きやんだ! 泣きやんだから、その呆れきった目つきはやめて。頼むから置いてかないで……」
「駄目ですね。まだ滲んでます」
「なんでそんなチェック厳しいの!? ゴシゴシゴシ! ホイどうだ」
「まあいいでしょう。さっさとついて来て下さい芭蕉さん」
「ええ〜〜〜〜……。普通君が私について来るんじゃないの……」










(毎日世界のどこかで何かが終わっている。祈る行為など意味を持たないくらい今この瞬間誰かが死んで何かが壊れている。先の見えない、この長旅の道中いちいちこんな事くらいで心を痛めていては精神が持たない。キリがないと、思う)


(けれど)

















寝る前に何も考えずに書くとこうなる……。

×××