職務を終えて疲れきった身体で私は帰路についている間、声が聞こえた。
 ヒーローである私の耳はどんな囁き声も捉えることことができ、その声の主までもを理解する。少し低くて、いつも優しげなトーンで話すその男の声を私はよく覚えている。








 私は周りをざっと確認したあとに飛び立ち、彼の住む家の近くにある木に腰かけた。カーテンは閉め切られているが、電気が点いていたので、彼と思われる男のシルエットがくっきり浮かんでいる。それはいつもの彼よりも身長がかなり伸びているようだ。影の持ち主が、何らかの台の上にいる訳ではないのだとしたら。




 声はそれからも続いていた。彼は一人きりでそこにいながらまるで誰かに言い聞かせるように、平淡な声で語り続けている。落ち着きすぎて逆に不自然にうつるほどに。明らかに正気の沙汰ではないような行動だが、目撃者は私一人なのでまあいいんじゃないかと思う。ほんの少し罪悪感があるが。




 彼は自分の頭の中の彼に向けて、過去の記憶と現在の絶望を語っていた。それを黙って聞いているうちに、私はすっかりその語りの聞き手になった気でいる。それなりの時間をかけて得たものと言えば、おれたちに救いの手とやらは伸びてこないって分かったこと。それだけだ。という下りで、力ない笑いがもれた。私にはなたれた皮肉のような言葉に、確かにね、とうなずいてみた。
( 確かにね。この手が彼に届いたことなんて一度もないさ )




 私は彼の首にかかる紐状のものまで見えていたので、これから起こるであろうこと全てを最初から知っていた。私は今すぐ飛び立ってそれを阻止することはできたが、私はそうすることはなくただ彼の言葉に耳を傾けながらシルエットに目を凝らしていた。私の正体はヒーローだが、今はただの仕事帰りのサラリーマンだ。そうしているうちに彼は思いきり何かを足で蹴り飛ばして落ちる。それが倒れた時の音よりも、ビィンと紐が伸びきる音の方が印象強く残った。それから声が聞こえることはもうなかった。彼の身体をぶら下げたまま揺れつづけている紐の悲鳴にも似た音がしばらく鳴っていたが、やがてそれすらも止んでしまうと、深い静寂がやってきた。















 そのあとの私は片手でネクタイを緩めながら、一字一句聞き逃さなかった言葉たちがぐるぐる回るのを持て余している。どれだけ思いをはせたって、何もかもが嫌になって逃げ出した彼の気持ちは私にはわからないから、脳髄にからみついて離れないこの思考をさっさと放棄してしまいたいものだ。遠くで誰かの悲鳴が聞こえたので、私はマスク代りの赤いスカーフを後頭部で結ぶ。これで村のヒーロー、スプレンディドの出来上がり。


 本当に救いたかった者はついさっき目の前で死んでいったのに。







( 村の英雄を名乗る男は、一人の軍人の発狂から死までを見届けたあと、アイデンティティを見失った。立ち去るその後も、彼は言いようのない無力感から目を逸らしたまま、 )




















英雄ばっくれる










title by ダボスへ/http://davos.nobody.jp/dai.html

(英雄ばっくれる)


このタイトルを拝見した瞬間、とっさに浮かんできたのは空飛ぶ災害でしたが、
実際書いてみるとどっちかっていえばっていうか、完全に軍人中心の話になってしまいました。
でも英雄もやっぱり出したい……とワガママやってみたら、英雄がなんか、その、フビンな役回りに……。
救いはまたどっかに置き忘れているし、すみませんでした。




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